私には生きている実感というものがありません。
「夢幻の遊園地」
よく晴れた朝だった。
ここ最近、ずっと雪だったから、晴れというのは嬉しかったりする。
鞄を持って、新品の靴に足を入れる。
「冬哉、弁当忘れているわよ!」
母が駆けつけて、慌てて鞄に突っ込んだ。
水溜りに写った空を踏んづけて、俺は学校へ向かった。
「白いコートの子、知ってる?」
そう聞かれたのは、お昼休みのとき。
友達が最近噂している話だった。
「十字路で会う子だろ?」
「そうそう。その子の話を3人にしないと、呪いがかけられるってやつ。」
「馬鹿げてるって。」
俺はそういう噂は信じない方だから、興味はなかった。
「それがさぁ、マジなんだって。」
「呪いって言うか、憎しみ?」
ケラケラと友達は笑った。
「実際はワンピースの子に再び出会うと、地獄の底まで追いかけられるっつーもんだけど。
地獄の底に送られるんじゃね?皆意識不明だってよ。」
「そーそー。その子に出会って、数時間後に意識が吹っ飛ぶって。」
本当に信じているのだろうか。
このような、子供だまし、信じる方がどうかしている。
友達の話を無視して、席に着いた。
鐘が鳴って、午後の授業が始まった。
あれから数日。
すっかりあの噂を忘れていた。
塾からの帰り道を、何気なくいつもの道を歩いていた。
ふと前を見ると、十字路の真ん中に、白いコートを着た子がいた。
忘れていた噂が蘇った。
「まさか、な。」
普段通りに、俺は十字路を右に曲がろうとした。
何かの花の香りがした。
茶色い透き通った髪が、風になびく。
ほんの少し見とれたけど、別に気にせず歩いた。
だけど、俺の足は止まってしまった。
腕を捕まれていた。とても強く。
「行か…ないで…。」
急に恐怖があふれ出してきた。
鳥肌が立って、毛が逆立ちそう。
「待って…話を…聞いて…。」
すごく弱々しい声だった。
か細くて、聞き取るのが精一杯な声。
抵抗しようと思った考えを振り払い、俺はその子と向き合った。
泣いているのか、顔を下げたままだった。
「お願いがあるんです…。どうか、一日だけ…。」
「一日だけ?」
すっと腕を掴んでいた力を抜いた。
顔を上げて、真っ直ぐな瞳を向けて、その子は言った。
「私と、遊園地に行ってください!」
「ゆ、遊園地?」
「お金ならあります!二人分あります!お願いです、つきあってください!」
断れる状況じゃなかった。
目にいっぱい涙を浮かべているし、また腕を捕まれそうだった。
仕方なく、俺はこの子と遊園地に行くことになった。
それにしても、今日は大晦日だというのに。
幸いなのかここの近くに、遊園地があるから、歩きで向かうことができた。
「私、千代って言います。あなたは…?」
「冬哉。」
「冬哉さんですね!あの、遊園地って初めてなんですか?」
「いや、何度も行ったことあるけど。」
「そうなんですか。私、行ったこと無いんです。だから、どれに乗ればいいとか、さっぱりで。」
さっきとは全くの別人だった。
なんだか病人みたいな雰囲気だった癖に、妙にテンションが高くなっていた。
「でも、冬哉さんみたいな人と一緒に行けて、本当によかったです。」
「は?」
「みんな酷いんですよ。話、聞いてくれないですし。」
あの噂の張本人はコイツだったのか。
そう思うと、苛立ちの前に、非常識さに驚いた。
「えっと、千代?あんたさ、誰彼構わず誘っていたわけ?」
「はい!私、今日までしか行けないんです。」
「バッカじゃねーの。もし相手が悪い奴だったらどうすんだよ。」
「冬哉さんは悪い人なんですか?」
もう会話する気分じゃなかった。
ため息が自然と出てしまう。
「あ、ため息ついたら、幸せが逃げちゃうんですよ。」
ため息よりも、コイツのせいで、幸せが背を向けているような気がした。
「冬哉さん!冬哉さーん!」
第一印象とは本当にえらい違いだった。
元気に走って、受付に向かっている。
「早く!早く行きましょうよ!」
半ば無理矢理に手を引っ張られて、中に入った。
ジェットコースターの走る音と、叫び声が合唱している。
家族連れや、カップルが結構多かった。
平日だというのに、暇な人が多いものだ。
「あ、あれなんですか?」
千代はコーヒーカップを指さす。
一気に全身が重たくなった。
遊園地の中で、最も俺が苦手とするのが、このコーヒーカップだった。
「それ、乗るの?」
「はい!一通り乗ってみたいんです!」
「俺は乗らねーから。一人で乗ってこいよ。」
「何言ってるんですか!さ、行きましょう。」
コイツは、この世の中で、最も苦手なタイプだ。絶対。
三途の川が見えたような気がしつつも、千代は次の乗り物に向かっている。
あれだけ回転しておいて、よくもまあ、あんなに元気なものだ。
「冬哉さん、あれ乗りませんか?」
今度の指さす先は、バイキングだった。
「俺は乗らねぇ!ゼッテー乗らねぇ!」
「まあまあ、そう言わずに、乗りましょ?今年最後なんですから。」
何が今年最後だ。そういいかけて、飲み込んだ。
遊園地にはもう二度と来たくない。
それから、ジェットコースター二回。
他の絶叫マシーン三回。
回転するマシーンが一回。
そして、次に乗ろうとしているのが、メリーゴーランドだった。
「なっ、これにも乗るのかッ!?」
「はい!だって、すごく可愛いじゃないですか。冬哉さんも乗りましょ?」
連れて行く気満々なのか、千代は俺の手を掴んだまま離さなかった。
逃げられない。コイツは魔女だ。病弱なフリした魔女だ。
「さ、行きましょうか。」
「お、おい!」
本当に絶対に二度と遊園地なんて来るもんか。
「ねえ冬哉さん!なんだか小さい車が走ってますよ!」
「あー、それゴーカート。それならできるけど。」
「じゃあ行きましょう。」
去年に乗ったっきりだから、上手くできるかどうか怪しかった。
俺が運転する方に乗り、千代はその隣に座る。
自分が動かしている訳でもないのに、とてもはしゃいでいた。
「すごいですね!冬哉さん、運転上手です!」
「別に、これくらい誰だってできるだろ。」
「あ、なら次、私やってみたいです。」
千代の希望で、またゴーカートの列に並び、今度は逆に座った。
係員の合図で出発するはずだが、合図が出たのにもかかわらず、動かない。
「おい、もう動かしていいんだぞ?」
「え、あ、はい!」
「……それ、ブレーキ。」
「え?あ、そ、そうなんですか?」
やっとのことで動き出した。
「ちょっとスピード出し過ぎじゃねえか?」
「そうなんですか?ど、どうすれば。」
「アクセルを軽く踏むだけでいいんだよ。全部踏まなくていい。」
「アクセル?これですか?」
と言って、千代が踏んだのはブレーキだった。
ものすごい音を立てて、ゴーカートは停車した。
「え、え?と、止まっちゃいました…。」
「……だから、それブレーキ。」
暑くもないのに、汗が出ているのはどうしてだろうか。
非常識という魔女に、アクセルとブレーキを教えて、また動き出した。
「おい、ハンドル回さねえと、激突するぞ。」
「ハンドルってなんですか?」
「ちょ、前!前向けって!」
また、大きな音を立てて、ゴーカートは停車した。
もしかしたら、本当に三途の川が見えてしまうかもしれない。
「あ、あの…本当にごめんなさい…。」
「別に…ってか、マジ驚いた。アクセルもブレーキもハンドルも知らないなんてさ。」
「す、すみません…。」
近くのベンチに腰掛ける。
急に疲れが溜まったような感じだ。
明日が休日で本当に良かった。
「全部回るんだろ?あとは…お化け屋敷と観覧車だけか。」
「あれがお化け屋敷ですか?」
ボロボロのいかにもっていう屋敷があった。
「あーそうだな。じゃあ、先にお化け屋敷行くか。」
屋敷に入る前から、何故か手を掴まれていた。
もしかして、恐がりなのだろうか。
「あの…何も…いませんよね?」
「べっつに。前は真っ暗だし。後ちょっとで何か出るかもな。」
「そ、そんな…。」
「どーせ、作り物の人形だろ?」
赤いライトで照らされた首つり人形。
真っ赤に塗られた五体バラバラ人形。
どうせ、全ては人間の手に作られた人形だ。
それの何処が怖いのか、さっぱりわからない。
気持ち悪い風を浴びて、お化け屋敷を出た。
「や、やっと終わりましたね…。後は観覧車だけですか?」
「そうだな。」
辺りは既に暗い。きっと、綺麗な夜景が見られることだろう。
さっきまで元気が溢れていた千代が、なぜだか静かになっていた。
お化け屋敷が利いたのだろうか。
ようやく観覧車に乗れた。
思えば、最後に乗ってから随分経っているような気がした。
最後に乗ったのは、まだ幼稚園の時だったような気がする。
暖かい観覧車の中で、向かい合うように座った。
ゆっくりと世界が小さくなっていった。
「私、言いましたよね。遊園地に来たことがないって。」
「………。」
「病気、なんです。治療方法がわからない、原因不明の。」
「…へぇ。」
「どうせ、長くは生きられないんです。だから、残りを楽しみたかったんです。」
どこからどうみても、元気な人間にしか見えなかった。
だが、思い出せば。
歩いているとき、時々苦しそうにしていたっけ。
時間が進むに連れ、ベンチに座る回数が多くなっていなかったっけ。
「行きたかったんです。遊園地。
パズルが好きで、よくいろんなパズルをやっていました。
今年のクリスマス、プレゼントでパズルをもらったんです。
その絵柄が、クリスマスの遊園地の絵で、すごく…本当に綺麗だったんです。
こんなところ、行けたらいいなって思って。」
「なら親に連れてきてもらえばよかったんじゃねえの?」
千代はうつむいた。
「ダメでした。許してくれなかったんです。
年だけは越そうって。そんな命削るようなこと、しなくてもって。
好きなようにしたかったのに。だから、内緒で飛び出してきました。
三日間だけと決めて…歩き回ったんです。
誰か一緒に行ってくれないかなって思って…。
でも、私なんか気にも止めてくれなかった。」
「……。」
「あ、でも!冬哉さんが一緒に来てくれたから、本当に嬉しかったです。
変、でしたよね。いきなりこんなこと。ごめんなさい。」
「いや、別にっ…その、楽しかった、し…。」
急に千代の目が明るくなった。
「よかったです!怒っているんじゃないかって思いました。
私も楽しかったです。一緒に来てくれる人が冬哉さんでよかったです。」
あと少しで頂上に着くだろう。
千代は立ち上がって、隣に座った。
「ほんの少し、肩…お借りしていいですか…?」
「は?」
肩に重みが掛かった。
心臓の鼓動が急に早くなる。
「なんだか、疲れちゃったのかな。眠くなってきて」
「寝るならもっと違うところで寝ろよ。」
「ここがいいんです。」
何も言い返せなかった。
「私には、生きている実感、というものがありません。
明日には、生きていないかも、しれない。
もしかしたら、今日までかもしれない。
だから、生きている感じが、しなかった。」
「ちゃんと生きてるよ。ここにいるだろ。」
「私、証明したかったのかも、しれません。
生きていたっていう、証。
ここにいたっていう、証拠。」
「お願いがあるんです。」
観覧車は頂上に到着した。
「下につくまで、こうしていていいですか…?」
声には出さず、ただ頷いた。
もう話はしなかった。
それだけで十分だった。
ゆっくりと本当にゆっくりと、観覧車は下がっていく。
長い長い時間に見えて、とても短い時間だった。
「おい、下につく……」
眠っていた。
静かに、眠っていた。
その顔は、とても幸せそうだった。
「起きろって…下につくんだぞ…」
たった一日だけだったのに。
こんなにも存在は大きくなっていて。
「ふざけんなよ…おかしいじゃんか…。」
そろそろこの観覧車から出なくちゃならない。
目を閉じたままの千代を背負って、ゆっくりと地面に降りた。
近くのベンチに座ることしかできなかった。
「あんなにも元気そうだっただろ…」
何を話しかけても、返事は帰ってこなかった。
笑い声も、叫び声も、話し声も、全部騒音にしか聞こえなかった。
ふと、手を握られたような気がした。
気のせいかもしれない。
だけど、そう思っても振り向いた。
何を言っても返事が返ってこなかったのに。
「もう少し、一緒にいてもいいですか?」
無邪気な魔女は、再び笑っていた。
モドル